| 番号 | 建築物名 | 番号 | 建築物名 |
|---|---|---|---|
| 1 | 大原美術館 | 9 | 倉敷民芸館 |
| 2 | 阿智の郷 | 10 | くらしきの宿 東町 |
| 3 | 喫茶エルグレコ | 11 | 中国銀行倉敷本町出張所 |
| 4 | 有隣荘 | 12 | 日本郷土玩具館 |
| 5 | 新渓園 | 13 | 旅館くらしき |
| 6 | 倉敷考古館 | 14 | 旅館鶴形 |
| 7 | 倉敷国際ホテル | 15 | 今橋 |
| 8 | 倉敷麦酒館 | 16 | 倉敷アイビースクエア |
倉敷は"綺麗侘び"で知られる稀代の万能文化人、小堀遠州の手により大阪冬の陣の軍需港として開花しました。 「天領」という幕府の保護の下、酒脱な商家の取仕切る町として隆盛を極めたものの、その繁栄もやがて陰りを見せはじめます。 時代の移り代わり、運河の都市としての役目を終えた倉敷は、堀割が悪臭を放ち、かつての洒脱さも日々の生活の中に埋もれた片田舎となっていました。 このときはまだ、誰も倉敷が今のような美観に優れた街なるとは予想だにしていなかったのです。
倉敷の町並みが、エドマンド・ブランデンの「瞥見」で謳われる情緒豊かな町としてよみがえることができたのは、クラボウ、クラレ、中国銀行の創設期の経営者大原孫三郎氏とその後継者大原總一郎氏の尽力によるもの。大原孫三郎氏は藤木工務店に命じて、大原美術館を始めとする主要なランドマークを次々と建設し、文芸を愛する倉敷独自の気風を育む礎を作りました。また全ての建築に彼の信条と美意識を反映し、惜しげもなく私財を費やし本物だけを追求する姿勢を貫き通しました。そして總一郎氏は倉敷をドイツローデンブルグに見立て、古い町並みを取り壊すのではなく伝統美を残しながら発展させることを目指し、いわゆる、倉敷美観地区を生みだしました。倉敷芸文館・倉敷チボリ公園などの美しい景観は、大原家のポリシーがこの地に根付き、未来へと受け継がれていった証といえるでしょう。
当社が創業の時期より大原家と共に倉敷の街づくりに携われたことは、当社の建築に対する理念と高度な技術を育むバックボーンとなり、 今に残す源となりました。
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